私たちは、こう思う

「大学へ行きたい」という希望を、本人の努力とはかかわりのない事情によって奪ってはいけない。このことを、おそらく否定する人はないでしょう。

学納金支援は若者への先行投資です。しかし、進学機会を奪ってはいけないからといって、他人様のお金(奨学金等)を使ってまで進学しようとするのは、単なる「甘え」ではないのか。そもそも本人及びその家族の努力が足りないのではないか。しばしばこうした疑問が投げかけられます。

この疑問の背景には1つの精神論が見え隠れします。いわゆる「苦学のススメ」です。最近は合理的な(損得計算で割り切る)考え方が好まれるようですので、精神論の旗色は決して良くないようですが、根性で乗り切れるのか。苦学が通用する時代なのかは、よくよく考えてみる必要があると思います。

よく指摘されることですが、モノの値段(消費者物価指数)はこの30年間で約2倍伸びたそうです。ところが、大学の授業料等はこれを大きく上回り、国立大学で約15倍、私立大学で約4倍になっているといいます。私たち労働者の賃金が容易に上昇せず、家庭の貯蓄も減少する(使い果たす)中で、家庭の収入等だけで、授業料上昇分をカバーしきれるとは、とうてい思えません。

努力してもカバーしきれない。であれば、「社会」が手を差し伸べてもよい、いや、手を差し伸べる必要があるのではないでしょうか。奨学金のような経済的支援は、やはり大切だと思うのです。